赤崎の農協横の細道は唐津街道だそうです。 道の斜面に諸葛菜の薄紫の花や菜の花が咲いているような道です。 10分ほど歩くと高崎家のおよそ400坪の墓地が山手に広がっています。 路傍に寛政11年〔1799年〕11月巳戌に 6代目高崎勝寿の妻が建立した一字一石塔があります。 小石海岸の小石七万個にお経の文字を一字、一字墨書して地中に埋め、 一族の菩提を願い建立しました。 5代目高崎勝重が寛政9年に没していますので、 この方の三回忌法要に建立したのではないかと云われています。 勝寿さんの妻は法名 貞光院釈心月妙安大姉 文化2年11月9日卒 行年 45歳でした。 |
諸葛菜の薄紫の花 |
菜の花 |
一字一石塔 |
塔の隣の紅白の南天 |
メジロが居るのです。やっと一羽写せたのですが判りますか? |
9代目 高崎源六郎勝貞 弟 与八郎が八幡の芳賀家に養子入りしたのは、 関係書類を見ても 唯 幼子とのみで年齢は定かではありません。 幼名は兼次郎で芳賀家に入り、与八郎と改名。 生年月日 源六郎 天保 8年11月19日 初代 小石村村長 与八郎 天保13年9月10日 明治18年迄 戸畑、八幡の戸長 明治22年から 若松戸長を歴任 明治26年より 初代 若松町長 当主12代目 高崎宗雄氏は回顧談として 洞海湾に有った中ノ島は 現在の若戸渡船の航路の東寄りに有りましたが 終戦前後に埋められ又は浚渫され、木船などの造船所があり 干潮の時は戸畑側から歩いて渡った記憶があるそうで 高崎家の古文書の中にその絵図があります。 |
もどる |